曲目解説 イーハトーヴ・リコーダー合奏団公演「星の国の音楽会」のプログラム4〜6の曲目解説です。 4.A.ドヴォルザーク原曲、及川茂編曲/『種山ヶ原』 種山は何度行っても、その新鮮な風と鮮やかといえるほどの景色、夢を育む地形等に目を奪われます。 賢治が心を寄せた気持ちが、とても良く理解できます。特に山頂からの素晴らしい眺めには、戯曲『種山ヶ原』にある「あゝ、あの電燈ぁ水沢だべか。町の人づぁまだまだねってらな。」の一節が説得力を増して迫って来ます。 また、夜の星の美しさは正に「銀河鉄道」に乗っている様な錯覚に捕らわれるほどです。 ドヴォルザークの名曲、交響曲第9番『新世界』は彼がアメリカに渡ったおり、祖国のボヘミアに思いを馳せて作られたものです。 その第2楽章として作曲された旋律があまりにも美しいため『家路』として知られるようになりました。 賢治は間違いなく交響曲第9番の第2楽章として理解したのでしょうが、その余りにも詩的で美しい旋律に心を動かされ、この詩を付けたものと思われます。 厳密に言うと原曲と若干違いますが、この場合『家路』のメロディーというより、賢治の作品『種山ヶ原』としてとらえるのが良いでしょう。 ★歌詞 5.宮澤賢治原曲、及川茂編曲/コミック・オペレット『飢餓陣営』の歌から
賢治は花巻農学校の生徒達のために『飢餓陣営』『植物医師』『ポランの広場』『種山ヶ原の夜』と計4曲の戯曲を書いています。 4編の中では最も早い時期に書かれたこの作品は、バナナン大将の帰りを待ちくたびれる哀れな兵士と、兵士の気持ちを顧みず自分だけ良い思いをして帰ってくる大将が、待ちくたびれた兵士達に自慢のサンドウィッチやお菓子等でできた勲章を食べられてしまうという話を、悲しくもおかしいコミック・オペラとして書き上げられています。 1曲目の『一時半なのにどうしたのだらう』は、いつまで待っても帰って来ないバナナン大将を兵士が「一時半なのにどうしたのだらう、バナナン大将はまだやって来ない〜」と悲痛に歌い、結局八時過ぎまで待つことになります。 ★歌詞 2曲目の『糧食はなし四月の寒さ』で兵士達はいよいよ悲痛になり「糧食はなし四月の寒さ、ストマックウォッチももうめちゃめちゃだ。」と歌います。 実際劇中でこの2曲は交互に歌われます。一方自分だけたらふく食べて帰ってきたバナナン大将を、兵士達はうまく騙してその自慢の勲章を食べてしまおうとたくらみます。 作戦はまんまと成功し兵士達も空腹感はどうにか脱しましたが、罪悪感に蝕まれ上官の二人が責任を取って死のうと言い出します。 ★歌詞 そしてピストルを出し覚悟を決めて歌うのが3曲目の『飢餓陣営のたそがれの中』です。 ★歌詞 それを聞いていたバナナン大将は自らの身勝手を恥じ許します。やがて大将を中心にして果物を栽培し豊かな実りを手にします。 最後のシーンは大将と兵士達が共に『バナナン大将の行進歌』を歌います。 ★歌詞 賢治は東京にいた数年間当時流行していた浅草オペラに関心を持ったと言われ、この『飢餓陣営』の音楽には浅草オペラの持つ楽しさやユーモアの要素が含まれています。 6.杉原泰蔵作曲、及川茂編曲/『風の又三郎』 『風の又三郎』は『銀河鉄道の夜』『注文の多い料理店』等と共に賢治の代表作として知られています。 童話『風の又三郎』は様々な賢治作の小品の中からモチーフを流用して完成されましたが、主な舞台としてイメージされたのは「種山」だとされています。 実際種山高原に立って風を感じてみると、正にここは「又三郎」の世界であると感ずる事が出来ます。 さて、物語は九月一日の朝早く、ふとやって来た不思議な赤い髪の転校生「高田三郎」を子供達は二百十日の風の神様「又三郎」だと思い込みます。 最初のうちはしっくり行かなかった三郎と子供たちの仲も、時が経つにつれて徐々になじんで来ます。 しかし、九月十九日の日曜日、三郎は友達の誰にも告げず、転校してしまいます。 翌二十日の雨の朝、子供達は転校を知らされ「やっぱりあいつは風の又三郎だったな」とつぶやきます。 当音楽会で演奏される作品のテーマとして使われる旋律は、昭和15年日活によって映画化されたとき杉原泰蔵によって作曲されたもので、物語の冒頭に出て来る「どっどど どどうど どどうど どどう」のフレーズに不思議で幻想的な半音階を中心とした旋律が付けられました。 ★歌詞 プログラム1〜3解説 プログラム7〜9解説 プログラム10解説 HOME |